「楽しむ」ために何が大事か。

最近、よくいかせていただいているお店の方のブログの記事に、同感だな、と思うことがあったので。
(ブログの記事はリンクを張らせていただいたので、ぜひ目を通してください。)

日本では、というか、日本人は「様式美」とか「礼儀」「作法」というものを大事にするところがあります。
それは決して悪いことだとは言いません。
間違いなく、大事なものだと思っています(もちろんそれは、自分が日本人だからということではなく、大事にするべきものだからだ、という理由でそう思っています)。

ただ、何をするにおいても、「〇〇するべき」という考え方になってしまっては、本末転倒なのではないか、とも思います。
お茶の入れ方、お花の生け方、文字の書き方、着物の着方。
様式美であり、作法であり、それらを昇華させ、一つの方法論として作り上げたものが、「道」であることは理解しているつもりですし、それを極めようとしている人たちのことを否定するつもりはありません。

先ほど書いた、本末転倒、という話。
茶道、華道、書道、それに、着付け教室や和裁教室など。
それから、そういったものに関するテキスト、書籍、参考書のようなもの、そしてインターネット上にあふれる書き込み。
勉強しようと思っている人にテキストや参考書は必要でしょうが、それに書いてあることを必ず「しなければならない」わけではないと思うのですよ。
書いてある内容を理解し、その通りにすることは大事だと思いますが……。
楚辺て、その通りに「しなければならない」かというと、そうではない、と。
自分がしようとしていることを、「楽しもう」と思うのであれば、「どうするのがよいか」というのも、おのずからわかってくるのではないか、と思ったりするわけです。

後、最近大事だな、と思うことがもう一つありまして。
最初にリンクを張らせていただいたお店の方のブログの記事を読んで、感じたことがこれなのですが。
「〇〇すべき」という考えを取っ払うのは、専門家(お店の方)の仕事でもあるのだな、ということです。
「こういう風にしたらいいんですよ」「こうすれば楽ですよね」という風に、専門家やお店の方に教えてもらえると、きっと楽になる部分ってあると思うんですよ。
それこそ、テキストだったり、ネットの書き込みを見たりして、「あぁ出ないといけない」「こうでないといけない」って思ったり感じたりしている人が「そうじゃなくてもいいんだよ」って言ってもらえると、楽になるんじゃないのかなぁ、って。

専門家であったり、お店の側の人間だったりする人が気を付けないといけないのは、
基本をきちんと理解していて、それも伝える努力をしないといけないということ。
何かで見聞きしたことがあるのですが、
「着こなしを理解しないで着崩すことはできない。」という言葉。
基本通りにきちんと服を着ることができないのに、着崩すことなんてできませんよ、ってことですよね。
TPOであったり、マナーはきちんと理解しておきましょう。
そういうものが必要とされる場面では、それに従って行動しましょうね。
でも、自分一人で楽しむ場合や、気心の知れたお友達・お仲間と楽しむ場合だったら、それに縛られる必要はありませんよね。
という伝え方をしないといけない、と、また、気持ちを新たにした次第です。

(やっぱりうまくまとまりませんでした。
二度、三度、と加筆訂正することになるかもしれません。
とりあえず、2021/11/10 一度目は、こういう感じです。)

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